びんごeクラブ
〜三周年記念も終って愈々四年目の始まり始まり〜
帝釈峡シリーズ(1)矢不立城 (神石高原町・庄原市東城町)<073>
矢不立城 看板

◆錦秋を迎えて紅葉の名所「帝釈峡」は、いま一際輝いている。見せ場の多いこの地を、一回で収録するのは難しい。これから飛び石シリーズで数回に亘って、紹介してみたい。
第一回は帝釈峡の中心地犬瀬にあって、神竜湖にその影をおとす名勝「矢不立城(やたたず)城跡」にスポットをあてて見よう。

矢不立城跡
名勝 「神竜湖」にその影をおとす「矢不立城跡」(中央の円錐形の山)

駐車場の右向こうに郵便局  そこを右に回れば案内標識
案内標識
神龍湖の一端
城跡への道の左側に神竜湖の一端が見える
トンネル
桜橋 紅葉橋とホテル街
トンネルをくぐると桜橋  その右側に紅葉橋とホテル街を望む
神龍湖遭難慰霊碑
◆神竜湖遭難慰霊碑
昭和9(1934)年3月、神竜湖に卒業旅行に来た国民学校児童12名と引率の先生2名が船の沈没により犠牲になった。その慰霊碑が桜橋の袂に建てられている。
標識
二つ目のトンネルをくぐると標識が
石段
ここから始まる石段道

段丘のいわれを記す看板
城跡公園広場
城跡公園の広場 /両端に顕彰碑と天守閣への石段
天守閣跡へ登る石段
天守閣跡へ登る石段
速水氏の顕彰碑
速水氏の顕彰碑
帝釈峡の説明版
公園広場にある帝釈峡の説明板 


旅を創造する中国バスグループ
中国バス
矢不立城
速水神社の祠
天守閣跡にある速水神社の祠(ほこら)
◆神竜の湖水を眼下に眺望し、周辺の風景は天下一品。しかも天然の要害の地に矢不立城は立っている。
文献によると天文12(1551)年 庄ノ二郎三郎の居城であったと伝えられる庄ノ氏は藤原鎌足二十世の孫、庄権守広高の出という。城には庄ノ氏以前にも長い歴史があるようだが、詳細は不明。この城は戦国時代、毛利、尼子の戦いに重要な役割を果たしたようである。
(市岡忠義著 「備後路」を参考にさせて頂きました)
速水神社
速水神社と矢不立城のいわれを記した標識
速水神社と矢不立城のいわれを記した標識
(市岡忠義著備後路より)
◆矢不立城天守閣跡に建立されたのが「速水神社」祭神は「天御中主之大神」
他二のご神体と「速水太郎之命」とある。速水太郎氏は実は現代人で神竜湖の生みの親ともいうべき人。このダムに貯めた水により発電所をつくり神石郡に電灯をともした恩人である。その功績で、ゆかりの地、矢不立城跡に神社が建立されたもの。
城跡公園に顕彰碑(写真参照) が建てられており、それによると山陽水力発電(今の中国電力)の経営者と記されている。
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